#論文筋トレ

「パルチザンと親日派」1

여러분 안녕하세요. みなさんこんにちは。
アンナです。
今日も訪問ありがとうございます!



今日は、授業に出てきた論文のなかでいまだにきちんと理解できていないものがあり、このブログを利用して読み解いていこうと思っています。

ということで、取り上げる論文は「パルチザンと親日派:歴史形相の終焉と未来について」というタイトルで、韓国語で記述されており(それでさらに難しい)、どうも時間がかかりそうなので3記事〜ほど、またいで紹介していくことにしました。

ちなみに今回は概要をただ訳しただけになり(表現などは多少変えています!)、次回からは通常の「要約」を載せていきます。

まだまだ能力不足ですみませんが、ご理解ください。


理解しづらい文章があるかと思いますが、この論文記事に関しては読み進めながら改めて修正更新されることが十分に予想されますのでご了承ください。



論文目次

  1. ロウソク以降の国民叙事
  2. 解放を巡る歴史的想像力
  3. 銃を持った青年の運命−捨てられたパルチザンの位相
  4. 親日から協力へ
  5. 国民叙事から


抄録


この論文は、1980年代の急激な政治、社会的変化の中で浮上した歴史形相であるパルチザンと親日派の再現/議論を通じて、韓国の近代性の議論の流れを明らかにしようとするものだ。

趙廷来(チョ・ジョンネ)の『太白山脈』で頂点に達したパルチザンの文学/映画テキストのブームが起きたが、これは反共体制下で抑圧された平等と、人格的な人間関係に対する想像を提示したために可能だった。

しかしパルチザンは、大挙討伐の対象として死を見たという点で、その証言者としての資格を事後的に付与されたに過ぎなかった。
一方で、1987年に発表された卜鉅一(ポク・コイル)の『碑銘を探して』からは最近の慰安婦問題、映画などで見られるように、親日派の形相は階級が下りてきている。

なにより、植民地近代性の議論は、道徳的で政治的一種である「親日」を植民地資本主義の社会関係形成による「協力」に転換しようとする際に寄与する。

経済主体としての近代的主体の形成に含まれた必然的傾向として見たのだ。しかし、植民地時代を近代性とその抵抗民族主義が共存する場として描き出す昨今の大衆文化は、親日派イシューの歴史的緊張をそのまま表している。

また一方で、南北韓の国家成立とともに起こった暴力の独占化過程で虐殺されたパルチザンとは、暴力に巻き込まれることで近代国家による暴力の正当化と自然化を問う歴史形象で描かれたのだった。



論文*
이혜령, 「빨치산과 친일파」, 『대동문화연구』(100), 성균관대학교 대동문화연구원, 2017.


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