
「パルチザンと親日派」2
여러분 안녕하세요. みなさんこんにちは。
アンナです。
今日も訪問ありがとうございます!
こんにちは。
今週は課題の量が無事に復活を遂げまして(涙)、ちょっと余裕もないこともあり、私にとってはとても難しい韓国の論文1つを分割して紹介しています。
今回は「パルチザンと親日派」Part2。
前回の記事はこちらからご確認いただけます↓
「パルチザンと親日派」1
ちなみに前回は概要をただ訳しただけになってしまったのですが(表現などは多少変えています!)、今回からは通常の要約を載せていきます。
理解しづらい文章があるかと思いますが、この論文記事に関しては読み進めながら改めて修正更新されることが十分に予想されますのでご了承ください。
1. ロウソク以降の国民叙事
ロウソクデモから発足した文在寅政権であるが、文在寅大統領は国内の記念式典へ参加した際の演説で、
「植民地から分断と戦争へ、貧しさと独裁との対決へ、試練が終わらない歴史」と向き合っている国民を歴史主体とし、そういう存在として国民を叙事しています。
現代における「ロウソク」とは、歴史を現代化させるワードであるとともに、これまで葛藤してきた近代化と民主化の両者をくっつける役割を果たしています。
また、独立のための、国を守るための、愛国の道には「職業、性別、年齢の区分はな」く、「左右」と「老若」の区分もないという国民像が生み出されています。
しかし、太極旗デモ(ロウソクデモへの反対デモ)が「戒厳布告」を叫んでいた状況を考えると、参加の敷居が低く、朴槿惠の弾劾という目標を総意として行ったロウソクデモの「非暴力」とは、韓国の近現代史のどのような蜂起の逆相(reserved figure)だったのでしょうか。(これは私の推測ですが、これまでの民主化運動などで多くの人が犠牲になったこととの対比です。)
独裁者の娘が大統領になれた韓国社会の長く変化してきた政治的無意識がもたらした現象だったのでしょうか。
またロウソクデモ以降、非国民のガイドラインも提示されるようになり、積弊(長年の政治的弊害)清算の問題は、親日派にも向くようになりました。
現在の非国民が誰かはわからなくても、過去についてのそれは親日の反逆者だと理解しているのです。
1945年の解放とともに非難の対象になった親日派ですが、1980年代の民衆史学の盛り上がりによって韓国現代史の意識が大きく変化するなかで、やっと社会の関心を集めるようになった存在でした。
ここで、親日派とは、独立運動家というよりもパルチザンに近い存在のものであったのです。
論文*
이혜령, 「빨치산과 친일파」, 『대동문화연구』(100), 성균관대학교 대동문화연구원, 2017.
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