
『永遠の0』と『風立ちぬ』を通じた日本の戦争記憶
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アンナです。
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今回は、映画『永遠の0』(2013)と『風立ちぬ』(2013)を通じた日本の映像コンテンツ文化コンテンツのブランド戦略と戦争記憶に関する、韓国の研究を紹介します。
映画の概要、ストーリーについてはある程度、認知されているものだと思うので、紹介しません。また、ネタバレが気になる方は、ストーリーにも触れるのでご了承ください。
『永遠の0』
原作では、特攻とは、民間人ではなく殺戮兵器である空母を目標としたものだと描かれています。
作品の(朝日新聞社を連想させる)新聞社の記者に対する批判と、それと対立的な構図を通じて、戦後日本社会で支持されてきた「特攻隊はテロであった」意識、ひいては「戦犯国家」意識というものが捏造されてきたと原作者が示していると指摘します。
心あたたまる「個人史」として神風特攻隊を描くことによって、原作の偏向した視角と一般人の距離が縮まりました。また、特攻隊をイデオロギーではなく「人情」で見ることによって大衆性と普遍性を生み出したと同時に、戦争を忘却させていると評価しています。
『風立ちぬ』
零戦という戦闘機は、真珠湾空襲当時、自殺特攻隊が使用した飛行機で、
つまりは、戦争という神話を完成させるために、自分の命を投げ打って多くの被害を出した狂気の象徴なわけです。
ところが、アニメーション映画では戦争の象徴である零戦は新しい技術に対する美しい努力として置き換えられ、戦争に対する記憶を忘却させようとしていると指摘しています。
日本の文化コンテンツ国家ブランド=「クール・ジャパン」戦略への指摘
これら作品は、自身の痛みと苦しみを曖昧にすることによって、戦後日本社会の矛盾を大きくし、思想の出発点が異なるにも関わらず共通集合を作っていると指摘しています。
「クール・ジャパン」とはクリエイティブなイノベーション国家を目指す戦略であるわけですが、この根底には愛国心が存在し、ひいては加害者意識を薄めることにつながっていると評価しています。
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論文*
정영욱, 「일본의 영상문화콘텐츠 국가 브랜딩 전략과 전쟁기억의 망각 연구」, 『일본어문학』Vol.1 No.80, 한국일본어문학회, 2019.