2020

この頃の頭のなか。#700


여러분 안녕하세요. みなさんこんにちは。
アンナです。
今日も訪問ありがとうございます!



韓国に来てから、もう、700日だそうです。
(圧倒的に微妙な日数ではあるが)

留学生活が2年近くになる今、100日単位で記録する必要ある?とも思いますが、自分にとっては<3ヶ月ちょっと>というのは振り返るのにちょうどいいタイミングなのです。

というわけで徒然なるままに、書いていきます。

この前、仲良しのオンニとオシャレカフェへ!
気にかけてくれる優しい知り合いが多くて感謝。





いろいろとボチボチな日々。「満足」ではない。


夏休みに入ってから、生活の軸はインターンへの外出になっています。
2人部屋を一人で使っているので生活スタイルが全く邪魔されることなく、限りなくダメになれてしまう環境です。
そんななか週2程度ですが定期的に出かけて、顔を合わせられる人たちがいるのは、リフレッシュにもなるので助かるなと思っています。コロナ感染が広まって完全自粛だった時も出社できたのは、寮に引きこもりの私にとっては救いでした。

先週は必要な書類が揃って、面倒な手続きごとがやっとうまくまとまりました。ほっとしたのも束の間、先週はインターン先でどんどん仕事を回され(ただ仕事が溜まっていた)、てんやわんやしていましたが、今週からはうまく回していけそうです。


昨年末から手伝っているインターンですが、やっと形になってきました。


インターンを始めた時の記事はこちらから↓
韓国で会社に通うことになった件についてお話しします!#458


年始の時点ですら、どうなることやら先が全く見えていなかったのですが、先月からどんどん人が増えてきました。私の担当している分野では、私が一番の古株なんです、実は。

仲間が増えるのはいいのですが、チームのコミュニケーション、雰囲気作りについて積極的に貢献していかなければならないなと、少しばかり悩まされている今日この頃です。

今日会社の子が買ってくれた
キャラメルマキアート!



インターン以外では、正直、特に頑張れていません。どうにも漠然としてきてしまったので、持ち直さなければとは思っているのですが、降下していく波がきました。

ただ、夏休みになって、大学院の先輩、大学時代の先輩、日韓交流の場で出会った友達など、いろんな人と会う時間をとっています。
どこかに消えていきそうだった自分の考えや力を思い出す良い機会となっていて、今は、そんな時間を大切にしています。




好き/嫌いで判断することをやめたい


先ほど、波が「降下してい」ると書きましたので、ここで、いま自分の頭のなかで考えていることをざっと書き留めてみます。

スペイン人とチュニジア人とウォーキングのあとに散歩してきた。



春学期を経て、「物事を二項対立的に見る」ことの危うさを感じるようになります。

日本で、韓国について研究していると言うとすぐ「韓国を好きなんですね!」と言われることが多かったですし(近年の傾向はわかりませんが)、
韓国では「日本のこと、好き!」と言っていただくことが多いです。

でも「なぜ好き/嫌いなのか」、この「なぜ」をもう少し突き詰めていくべきだと思うのです。


そう考えると、シンプルな二項対立として認識されているものって多くて、
例えば「竹島/独島は日本のものか?韓国のものか?」、「植民地支配だったのか?近代化だったのか?」、「独立運動家と親日派」というようなことです。
その二つの間に検討すべき材料がいろいろとあるのに、その作業を怠って、身勝手に判断されています。自分を振り返ると、TVやネットニュースの簡略化された報道・記事によって、「二項対立のうちどちらが正しそうか」ということしか判断できていませんでした。

(だからこそ、そういう時の判断基準として#論文筋トレがあるんだよね…更新できていなくて、反省はしています。)


「自分の感情を」「自分の言葉で」



つまり、自分の思いを、突き詰めて考えていかなければならないと思うのです。
いじめっ子は「みんなが言う」「一般的には」と言う印象があるのですが、それは所詮「他人の言葉を借りないと自分を正当化できない」ということの表れなのではないでしょうか。


ところで、私は「自分の国=日本」が向き合うべき国、「隣国=韓国」という認識に過ぎず、韓国を好きでも嫌いでもありません。
韓国人の友達のなかで、好きだと思える人と嫌いな人はいます。

「国は嫌いでも、人は好き」という表現も、絶妙に、危険だと感じています。無理に「好き/嫌いに思う必要」もありません。


ありのままを受け入れる


精一杯向き合って、自分と合わなくたっていい。というより、「自分と合う」というのは自分の可能性を見誤っていると思っています。
日韓で「実は文化が違うから」とよく聞きますが、日本人同士、隣のお家とも十分「文化」は違うということをきちんと把握すべきだと思います。
「判断」ということから一旦離れて、他者をありのまま受け入れていきたいものです。


なぜだかついつい括ってしまうんですよね。必要もないのに。ちなみに、そういった「区別」から差別が始まるそうですのでご注意ください。


考えることを諦めた言葉の使い方をしたくないなと思います。最近、言葉の一つひとつを丁寧に扱いたい欲があります。
また同時に、他者を一方的に判断して、否定するような言葉を使いたくないなと、

漠然と疲れを感じて、そう思っています。





あーーー!ここが踏ん張り時。限界突破。。。



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