
ディズニーアニメにおけるフェミニズム
여러분 안녕하세요. みなさんこんにちは。
アンナです。
今日も訪問ありがとうございます!
前回から、人種差別に関する論文を紹介しています。
今回は、ディズニーのプリンセスから、フェミニズムについて考えさせられる論文を選びました。
前回の記事はこちらから
→ディズニー映画における差別の表われ
これまでのディズニー映画
ディズニー長編アニメーションの初期の3作品、『白雪姫』『シンデレラ』『眠れる森の美女』では、
「女の子はかわいく美しく従順な存在でいることで人生の成功と幸福を得られる」という刷り込みが行われており、「信じれば夢は叶う」というその「夢」は王子との結婚、「愛こそすべて」というメッセージとなっていました。
その後1998年に公開された『ムーラン』では、ディズニーが初めて中国を舞台としました。
ムーランが男装して戦場に出向く点があったり、男性とのロマンスがなかったりするこの映画は、本来の自分を探すことがテーマとなっていました。
『ムーラン』へのこういった評価に対して、「弱った家父長制の許可にさらに課題に法外に女の力を盗用し」ているという批判があるのですが、研究者は過去のプリンセスに比べて、「彼女自身の努力によって」本来の自分を見つけようとしている点で、フェミニズムを尊重しているのではないかと指摘しています。
2010年の『塔の上のラプンツェル』では、典型的なプリンセス像が設定されていたものの(大きな目・美しい髪・服装、西洋風かつファンタジックな物語)、
ラプンツェル自身が過去から脱却し、夢を叶えるために自ら行動を起こしており、それが観客を魅了しているとしています。
新しいディズニープリンセス
また2012年『メリダとおそろしの森』では、若い男女ではなく母娘の親子の物語となり、恋愛の要素がありませんでした。
弓矢や乗馬が好きだったり、結婚とは人生の終わりだと考えていたりする娘・メリダと、他者中心的な生き方*にとらわれた母・エリノアが対立していると見ることができます。
このように「主人公だけでなく因習にとらわれていた母親という女性を解放」するようになっているのです。
*男性中心主義社会が生み出した男性にとって理想的な女性の象徴などの生き方
以上のように、ディズニーのプリンセス像とは時代とともに変化しており、『メリダとおそろしの森』では「より完成度の高い女性映画」となったと、研究者はまとめています。
そしてまた、ディズニーアニメのプリンセス作品は、単純に「プリンセス」という存在への憧れではなく、その人間的な部分において共感を呼ぶようになっているのです。
参考論文*
森本祥子, 「ディズニー長編アニメーション作品におけるプリンセス像」, 『表現文化:大阪市立大学紀要』(9), 2015.