#論文筋トレ

日韓併合当時のジャーナリズム⑴


여러분 안녕하세요. みなさんこんにちは。
アンナです。
今日も訪問ありがとうございます!



今学期、どうも色々と「うまくいっている」感じがなくてなんとなく辛い日々ですが「あと一歩」「あと一歩」と考えて生きています。



今回は、植民地期における朝鮮の同化政策を、当時の新聞報道を通じて分析した論文を紹介します。

なお次回の記事と、2回に分けてお送りします。
それではスタート。



ジャーナリズムの「併合」


1905年の「保護条約」によって成立した保護関係、つまりは支配関係という事実が存在していたため、
1900年代より新聞においては併合促進論が主流となっており、

併合条約が公布されると各紙、記念号と銘打ったり、朝鮮半島の地図上に縁取りをつけた天皇の写真を掲げるなどして、大々的に報じました。



それでは新聞各紙はどのようなレトリックによって「併合」を正当化、合理化していたのでしょうか。
研究者は、大きく2つの軸で、計5つのタイプに分けて分析しています。


*帝国主義的な侵略、植民地分割を構成する軸
⑴朝鮮停滞論的レトリック
日本による併合は、朝鮮の近代化を促進させ、政治の安定と生活の向上を保障するものだというもの。


⑵例証的レトリック
他の帝国主義国の植民地侵略を例として、それを一般原理とすることで日本の朝鮮植民地化を正当化するもの。


⑶進化論的レトリック
強国による弱国の支配を人間の本性として認め、併合の合理化を図ろうとするもの。

*日韓併合の特殊性を強調することで併合を正当化する軸
⑷日鮮同祖論的レトリック
日鮮同祖論を根拠として、日韓併合を秩序の回復として正当化するもの。


⑸形式論的レトリック
日韓併合が朝鮮の意志であると強調して、併合を正当化しようとするもの。





ところが、帝国主義国家としてふるまっていた一方で、
欧米の資本主義に対する後進性が欧米列強への脅威となっていたアジア主義的潮流の基盤も存在していたため、

列強の植民地支配論とは異なる方向性をもった「同化」が主張されなければなりませんでした。


「同化主義」

それでは、併合当時にどのような同化論があったのでしょうか。


ジャーナリズムにおいての「同化主義」には2つの立場があったとしています。


*論理的帝国主義の立場

理念においては近代的な議会主義の体制をもち、形式上の民主制を保ちながらも、対外的には帝国主義国家として植民地分割競争をしている欧米列強を、日本の目指すべきモデルとしました。

この立場においては、完全な同化が帝国憲法下の平等(制度的平等化)を生むとしていました。(法的平等論)


*天皇制ナショナリズムの立場

日鮮同祖論に基づいて、同化はすでに「神代」において歴史的に経験済みだとし、同化した状態こそが本来のあるべき姿であるという考えでした。
そこでは同化とは、皇民化、つまり、同化によって天皇の下の人民として態度、礼節などを身に着けることができるという文化的同一化に重きを置いていました。



論文*
山中速人, 「朝鮮『同化政策』と社会学的同化・下」, 『関西学院大学社会学部紀要』(46), 関西学院大学社会学部, 1983.



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