
日韓併合当時のジャーナリズム⑵
여러분 안녕하세요. みなさんこんにちは。
アンナです。
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前回より引き続き、植民地期における朝鮮の同化政策を、当時の新聞報道を通じて分析した論文を紹介します。
前回の記事はこちらから。
日韓併合当時のジャーナリズム⑴
同化主義への批判
「同化主義」の主張にも2つの立場があったと紹介しました。(前回の記事を参照してください)
*論理的帝国主義の立場
*天皇制ナショナリズムの立場
それでも、現実の同化政策と、理論とは必ずしも一致しません。
政策を遂行する現地官僚たちがどう考えていたのかを、研究者がまとめています。
⑴「同化」=「平等化」論への批判
合理的、効果的な植民地経営が行われればよく、統治に逆効果を及ぼす際には反対する立場であり、文化の同一化によって、朝鮮人の反抗を招いたり、紛擾(ふんじょう・揉めること)の種となることを警戒していました。
実際、植民地の治安責任者は、帝国憲法下の平等は難しいとして、朝鮮人に対して平等的処遇を与えるといった観点は全くありませんでした。
⑵「文化一体化」論への批判
同化主義を推進する方策として、日鮮同祖論に基づく「同種同文論」(日本語も朝鮮語も古代においては同一の言語であったとする考え方)により、日本語の普及をすすめようとしていました。
ところが、異文化な民族として朝鮮を認知していた新聞各社は、文化の一体化が容易に実行できるという見方を疑問視していました。
ちなみにこれは、教育経費の節減という立場からの否定ではなく、教育による文化の一体化の困難を指摘したものでした。
⑶社会主義者の「併合」批判
日韓併合の経済的侵略性、不平等性を批判し、社会構造的な差別傾向を孕むことを指摘していましたが、
これは民族主義的な独立要求とは異なり、文化一体化政策の問題への視点をもたない傾向がありました。
まとめ:朝鮮「同化主義」とは
・朝鮮停滞論の認識は、日本人と朝鮮人との間に差を設けることを正当化する根拠となった。さらに、植民地現地官僚の武断的な統治方針により、差別化の方向につながった。
・これ↑に、さらに日鮮同祖論が結びつくことで、帝国憲法下における平等は否定され、天皇制ナショナリズムによる文化的一体化が効力を発揮した。
以上により、朝鮮人を日本社会の最低階層として組み込みつつも、同時に日本語の強制などの文化的同一化を図ったのです。
欧米列強に対する資本主義の後進性が脅威となっていたために、帝国主義本来の社会政策(社会的構図における差別と、文化的次元における区別)をとらず、文化的次元においては同一化を目指していたとまとめています。
難しいかもしれないので補足的に書きますが、
研究者は、
・本来「同化」とは社会的構造における平等と、文化的次元での同一化において成立するものだったのだが、
社会的構造には差別化と、文化的次元での同一化という「階層化」の中で解釈されるようになっても「同化」主義でありつづけ、
・このように内容と実態が異なったために、あらゆる国民を朝鮮の植民地支配への動員できたとしています。(効果的な政治的シンボルであった)
・また、文化的一体化を通じて社会構造的平等化を実現させるという「同化主義」においては「多元主義」がその論理を打ち砕けたのだろう
とまとめています。
論文*
山中速人, 「朝鮮『同化政策』と社会学的同化・下」, 『関西学院大学社会学部紀要』(46), 関西学院大学社会学部, 1983.