
植民地時代にソウルで開かれた博覧会
여러분 안녕하세요. みなさんこんにちは。
アンナです。
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1915年9月に、植民地朝鮮の京城(現在のソウル)で「朝鮮物産共進会」が開かれ、12月1日には「朝鮮総督府博物館」が開館しました。
今回はそれに関する論文です。
前提知識
18世紀後半から広まった西洋の博覧会は日本を通じて朝鮮にも伝わりました。
まず、1907年9月15日から2ヶ月間「京城博覧会」が開かれましたが、政局の混乱の最中であり、朝鮮民衆の動員に失敗しました。
そこで併合5周年を節目として1915年「朝鮮物産共進会」が開催されることになります。
また、1929年には「朝鮮博覧会」が開かれています。
朝鮮物産共進会の目的と成果
共進会を通じて、停滞している原始朝鮮と、近代性を持った近代日本を強調することで、併合の正統性を訴えようとしました。
そのため、朝鮮総督府の統治成果を誇示するとともに、日本人の朝鮮誘致が目的となりました。
・統治成果を誇示するという点においては、朝鮮人を動員する様々な計画により集客ができ、「朝鮮民衆を覚醒」させることに成功したと言えます。
・日本人の朝鮮誘致=「内地人」を朝鮮に招こうとしていたわけですが、日本人による批判の声が目立っていました。
また、予算の問題により、朝鮮物産共進会の全ての施設の新築は不可能であったため、景福宮の旧建物を会場として利用しました。
「朝鮮総督府博物館」建設案
唯一、朝鮮物産共進会で、「朝鮮文化財」が1つのパビリオンをもって展示されました。東京帝国大学を中心とする官学者による、朝鮮半島での発掘調査が盛り上がったことで、「朝鮮文化財」が増え続けていたためです。
そこで、第2回内国勧業博覧会の終了後に上野の博物館が誕生したことに倣って、朝鮮でも、共進会開催後に博物館を開館することが推進されました。
この博物館は、景福宮内に立てられ、ほかのパビリオンより早い段階から起工されました(1914年9月)。共進会の期間中は「美術館」という名称で用いられたのですが、建物の工事は清水組が請け負っています。
清水組*
政財界との人脈を利用して急成長を遂げ、西洋の近代建築様式を日本に広めた会社で、植民地朝鮮でも韓国宮内部庁舎、韓国議政府庁舎、朝鮮ホテル、また朝鮮総督府庁舎まで施工しました。
「朝鮮文化財」の誕生
共進会で展示するため、朝鮮人個人の家に眠っている「朝鮮文化財」収集にも着手しましたが、理論的な背景がなく、展示の方向性が定まっていなかったため、のちの博物館に展示する資料を幅広く収集することに重点が置かれました。
結局、共進会への出品は日本人個人の出品が多くを占めましたが、個人所有の「朝鮮文化財」は「朝鮮総督府博物館」の展示品として所蔵されることになりました。このことによって芸術の精華が朝鮮民主に知らされるようになりました。
論文*
全東園, 「朝鮮物産共進会と「朝鮮文化財」の誕生」, 『言語・地域文化研究』(15), 東京外国語大学大学院, 2009.
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