
植民地朝鮮を魅了した博覧会
여러분 안녕하세요. みなさんこんにちは。
アンナです。
今日も訪問ありがとうございます!
今回の記事は、一昨日からの連載?を一度休憩して、ほかの論文を扱うことにしました。
5月になったので、爽やかさのある色の写真に変えてみました。1ヶ月はこの写真の予定ですがそもそも…続くかな(^^;
今回は、朝鮮物産共進会に関する論文を簡単に紹介します。
(ストリーミング授業で突然話が振られてびっくりしたあまり、博覧会を「展覧会」と言ってしまった私…能力不足悲しい)
前提知識
韓国併合5周年を節目として1915年に開催されたのが「朝鮮物産共進会」です。
詳しくは、こちらの記事も参考になると思います。
植民地時代にソウルで開かれた博覧会
開催の目的とその意図
1910年以後5年間の植民統治の成果を見せることが目的となり、
朝鮮人には日本がいかに優れているのか、また内地人(日本人)には植民地開拓の必要性と実相を見せることが、開催の意図でした。
それでは、なぜ内地人にもアピールする必要があったのでしょうか。
それは、内地の資本家の関心を集めて、朝鮮の市場に参加させるためです。
共進会の主要施設
(実際の論文では写真とともに数々紹介されていますが、ここでは簡単に私は注目したものを抜粋して紹介します)
*鉄道局別館
鉄道特設館とも呼ばれ、観覧客がケーブルカーに乗り館内を巡りながら見物することができたため、子供達に人気がありました。
また高さ40メートルの広告塔が建てられ、当時の朝鮮社会では最も高い人工建物であり、近代化が生み出した「高さ」として朝鮮社会を圧倒したと考えられます。(「高さの近代」)
*余暇の文化
映画、演劇から曲馬団、、マジック、ショーなど公演の見せ場が観客を魅了し、本格的な大衆文化のひとつとして紹介されました。
また必ずしも珍しい、新しいものだけでなく、朝鮮的なモノや文化・歴史としてパンソリや宮中楽などの伝統公演も舞台に上がりました。
*電灯装置
大規模の照明やイルミネーションをして、「非日常的な空間」または「近代の明るさ」が演出されました。数多い照明は、近代の啓蒙の象徴でした。(「明るさの近代」)
企画行事と観覧客
人々の注目をひいて少しでも多くの観光客を集めようと、共進会とともに毎日申報社の「家庭博覧会」や仁川での水族館もオープンしました。
そのほか航空機の飛行では「近代の高さ」をアピールしたり、提灯行列、婦人小供デーなどの各種催し物も開かれました。
観覧客の特徴
1.観覧客として全体の入場者としては、組織的な団体観覧客が多数いて、全国から上京してきたことで、さらに共進会の話題が全国に広まりました。
また、朝鮮人だけでなく内地人の観覧も高い割合を占めていました。
2.入場者の数をみると平日よりも週末に集中している(土日には平日の2〜5倍の観覧客)ことから、近代的時間概念が定着したことと、近代的余暇活用のひとつとして共進会会場が利用されたことを意味していると、研究者は指摘しています。
特に、婦人小供デー(10月17日)が設けられていることから、婦人の外出が自由ではなかった時代に女性・子供を近代文物の現場に誘導し、婦人と子供たちの入場が目立っています。
3.また演芸館への入場者も多かったのだが、芸能館を中心に朝鮮と日本の芸者たちの公演が行われていました。
のちの1926年の「朝鮮博覧会」では「マネキンガール」や「キスガール」なども登場して、性の商品化と深い関連のある博覧会は、性の消費が許される合法的な空間として認識されることになりました。
共進会の開催によって
共進会とは、朝鮮を、精神面と物質面で侵奪するための実験場でありました。
1907年に統監府によって開かれた博覧会と、朝鮮物産共進会の開催の成功によって、朝鮮は安定的な原料供給基地から生産基地への転換が可能となり、また日本のもう一つの内需市場として注目されるようになるのです。
論文*
李泰文, 「1915年『朝鮮物産共進会』の構成と内容」, 『慶應義塾大学日吉紀要 言語・文化・コミュニケーション』(30), 慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会, 2003.