#論文筋トレ

植民地期の朝鮮農村における医療⑴


여러분 안녕하세요. みなさんこんにちは。
アンナです。
今日も訪問ありがとうございます!


週末は、意気揚々とちゃんとブログ書くぞー!と思っていたのに、頭が痛すぎるあまりに早朝に目が覚めるなんてことがあり、体調イマイチですが。それでも平日はやってくるので、ブログを書かねば。

そんな中でも、最近はいろいろ習慣化ができてきたので、楽しいです。

そろそろ髪でも切りたいなと思っていたところ、自分で髪を切る動画を見つけ、セルフカットしたい!欲が高まったので、スキバサミをポチってしまいました。受け取って早速カット。
量を軽くするという目的は達成したので満足。バランス悪くても「まあ髪はすぐ伸びるんで」ってめめ(SnowMan目黒蓮くん)が言ってたのでね。笑

ふぅ。


というわけなのですが、今週が始まってからずっと頭痛いとか首痛いとか脇腹痛いとか(さっき)そんなんばっかりで、更新が遅れました!

週5回の更新だけは守っていければいいか、というゆるめな感じで、続けていきます。「続ける」ということが大事だよね。。。(自分に言い聞かせる)




今回扱う論文



植民地期に伝染病が流行ったため、実は衛生面の「規律化」も大事な要素となっていました。

そんな衛生・医療事業に関する論文を、今回は紹介します。


植民地期の医療機関



植民地期朝鮮における病院は、以下の4種類でした。
・総督府が設立運営する官立
・道地方費が運営する道立
・府面立
・私立

私立病院の民族別の構成を見ると、日本人経営による病院が常に過半数を占め、日本人病院は京畿道(首都圏)に集中していました。これらは京城(げ現・ソウル)在住の日本人を対象に病院経営を行っていたようです。



また、総督府は1913年に以下3つを制定しました。
・「医師規則」:医師の資格とその義務を定めたもので、指定の医学校の卒業者または朝鮮総督の定めた医師試験の合格者などを除いて医師免許を得られなくなりました。

・「公医規則」:公衆衛生を主とする公務に服することを前提に開業を認められた医師を配置しました。

・「医生規則」:朝鮮の伝統的な医学を修得して医療行為を行う「漢医」に「医生」という呼称を付けました。

さらに(医師規則に該当しなくても)当分の間、履歴と技両を審査して地域と機関を限定して免許を与えることで、郡部を中心とした「現地開業医」確保を図っており、

このように以上合わせて4種類の医師がいたことになります。



そして、植民地期の特徴は以下3点。

・医療機関が拡大したが、都市部を中心に立地しており、
農村部では「医生」が主たる医療機関となったものの、だんだんと減少していました。
・総督府は現地開業医や公医といった制度を政策的に導入していました。



医療機関の利用状況



⑴官道立病院の利用
総人口数に対する比率からいえば日本人の利用度が圧倒的に高いのですが、
朝鮮人の患者数は1910年代前半と、30年代に急増しているという特徴があります。

理由については定かではないのですが、
ここで研究者は一つの点に着目しています。

*日本人の場合
女性患者数がほぼ一貫して男性患者数を若干上回る傾向なのに対して(女性>男性)

*朝鮮人の場合
男性患者数が女性患者数を圧倒的に上回り、女性は男性の6割前後の水準に留まっていた(女性<男性)
というのです。

日本人の医師に診察を受けることへの抵抗感、朝鮮人医師の少なさが朝鮮人女性の病院利用の障壁になっていたのではないかと指摘します。


⑵農村部での医療機関の利用
道立病院と比較して、公医のほうが農村部に近接して開業していました。
農村部で、病院や開業医が不足している問題を公医の配置で解消しようとした総督府の政策は、一定の成果があったようです。

また、農村部で近代的医療機関を利用できていたのは上層農に限られ、依然として医生が圧倒的に重要な役割を果たしていた地域もあります。


しかし、地域別の格差があったために
貧困で医療費を負担できない、あるいは医療機関自体がなかったことで、近代的医療も伝統的医療さえも利用できない住民が大量に存在していたとしています。



(ブログ更新の時間的都合により
続きは次の記事にて紹介しております)



続きはこちらから。
植民地期の朝鮮農村における医療⑵


論文*
松本武祝, 「植民地期朝鮮農村における衛生・医療事業の展開」, 『商経論叢』34(4), 神奈川大学, 1999.




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