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韓国社会は在日朝鮮人をどう認識しているのか

여러분 안녕하세요. みなさんこんにちは。
アンナです。
今日も訪問ありがとうございます!




今回は、先日の課題で扱った論文の要旨を紹介します。


文字の大きさ、見やすさ、順序など、ご指摘ありましたらお気軽にコメントください。


90年代後半までの認識



日本在留朝鮮人に対して、韓国政府が無関心ではなかったものの、
対共産圏防御という次元で政策を推進していたために、北朝鮮と比較してその姿勢が消極的で排外的でした。

時に在日朝鮮人が政治犯として追われた事実からも分かる通り、ある政権下では内なる敵に仕立てあげられ、時に反共と反日という政治路線に沿う形の存在でした。
そしてまた、ある時は民主化と統一運動に寄与する立場と見なされ、そんな認識が90年代後半まで続いたと指摘しています。


90年代後半以降の認識



90年代後半に入り、市民運動が盛り上がりを見せ、在外同胞問題についても人権の観点から見る活動が始まります。例えば「ウリ民族助け合い本部」「地球村同胞連帯(KIN)」などがそれら活動団体に当たります。

ただこの時、「民族問題」と「人権問題」のあいだにある「在外同胞問題」の概念が曖昧であったことから、在外同胞のための市民運動は社会的に広がりませんでした。


大衆メディアでの取り上げられ方



2000年代に入って、脱冷戦の時代的雰囲気が広まりつつ、総連系の在日朝鮮人と韓国社会との接触が増え始めました。



研究者はここで、大衆メディアから読み取れる在日朝鮮人に対する韓国社会の認識を3つに分けています。

1.「誇らしい韓民族」
在外同胞たちの現実が紹介される番組では、「韓国人のための韓国人の夢に大理満足を提供する存在に他ならなかった」と指摘しています。

愛国心と民族的自負心もたないような日本人のような在日朝鮮人を除外して成立可能でした。
つまり、ただ「異国で成功した」ということよりも「祖国愛と民族愛を兼ねそなえた在外同胞たちの存在」が語られていました。


2.韓流のなかの「ザイニチ」
朝鮮語を知らない、キムチを食べられない同胞=「ザイニチ」として、国家や民族に縛られない自由な生き方を模索する新世代の姿として見られるようになりました。
そこに韓国政府や韓国社会に対する問題意識は存在せず、国民国家の枠組みを脅かさない存在として描き出されました。


3.朝鮮学校と「ウリ」
(ウリとは韓国語で「私たち」という意)

過去、総連系の在日朝鮮人が韓国社会と接する場合には自分のアイデンティティを隠すことで、関係を安定的に維持できた面もありました。
しかし、映画『ウリハッキョ』では、自身の環境に躊躇いのない朝鮮学校の子供たちの姿が映され、韓国社会でむしろ新鮮に受け止められています。

研究者は、国家保安法が現存する韓国社会と、公式に北朝鮮の方針に従う朝鮮学校は、政治的緊張関係にあるわけであり、監督が朝鮮学校との関係づくりをどれほど熱心にしたのかに注意しなければいけないと指摘しています。



つまり、朝鮮学校が抱える問題や韓国との違和感を飛び越えて、朝鮮学校が「韓国人」に吸収されているのではないか、ということです。
朝鮮学校を内部に取り込んだ「韓国人」として見ることによって韓国のアイデンティティを強化しているという点では、違和感と異質感が今もまだ残っているとまとめています。



論文*
趙慶喜, 「韓国社会における在日朝鮮人認識の変遷」, 東京外国語大学海外事情研究所, 2009.


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