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3・1運動直後の歴史教育論⑴


여러분 안녕하세요. みなさんこんにちは。
アンナです。
今日も訪問ありがとうございます!



ひっそりと更新をお休みしてしまいました。
特にこれといった理由があるわけではないのですが、少々疲れてしまっていたので、とりあえず早く済ませなければいけないことと向き合っていました。

私の近況についてはこちらをご覧ください。
前向きな「逃げ」を選んだ5月 #648



今回は、3・1運動直後に、韓国においてどんな歴史教育論が繰り広げられていたのかを紹介していきます。
また今回もブログに割ける時間の都合上、次の記事までまたぎますのでご了承ください。




歴史教育に関する主張



3・1運動以前、
朝鮮総督府は、韓国史教育が民族意識と独立欲を育成するとして排除、禁止していました。

ところが3・1運動を経て、
従来の教育政策について内外で批判と改善の要求が出されるようになりました。

この際の主張は2つの立場に分かれます。
⑴韓国人の民族的立場を反映したもの
韓国人教育運動家らと外国宣教師や言論界などから、韓国史と外国史の歴史教育の実施が求められた。

朝鮮総督府の立場を考慮したもの
在朝鮮日本人教育者、臨時教育調査委員会などが、韓日併合の正当化や国民的志操の涵養(かんよう・自然に染み込むように、養成すること)が要求されました。



このとき、<⑴韓国人の民族的立場を反映した>主張は、以下2つの形で発表されました。

・教育団体や個人などによる教育改善に関する建議案
→原論的水準に止まりました。

・『東亜日報』の「社説」
→従来の歴史教育を批判すると同時に、具体的な改善策も打ち出していました。

それでは、『東亜日報』の「社説」には、従来の歴史教育に対するどんな批判があったのでしょうか。


歴史教育の「具体的な改善策



『東亜日報』の「社説」による批判は以下3つに整理されるとしています。


①歴史と政治の区別

歴史は民族的、社会的問題である一方で、政治は国家的、法律的問題である。
事実は事実のまま教えるべきで、歴史を政治的手段として利用すべきでないという主張。


②韓国史の独立教科化

韓国史は日本史とは異なる一つの独立したものであるため、両者を別個の教科として設けるべきだという主張。


③東洋史と西洋史の分離教授

当時、中等学校の歴史教科の時間が日本より少ないことなどを理由に、東洋史と西洋史を統合して教えていたのですが、これによって事実が隠蔽されるという問題点を批判する主張。



ここで、民族教育運動家らが最も問題視したのは、韓国史教育に対する軽視でした。
朝鮮総督府による歴史教育だけでなく、それ以前の韓国の伝統的歴史教育への批判も兼ねるものだったのです。

韓国史教育の軽視は「自民族の歴史に対する忘却とそこで現れた創意性の無視をもたら」すと危惧し、韓国史教育の実施と独立教科化を主張しました。



歴史教育の政治性



しかし、3・1独立以前も、その後も、朝鮮総督府の歴史教育政策は政治の論理によるものでした。

これに対抗しようと、独立精神と民族意識を育成するための手段として韓国史教育の実施と独立教科化を主張しても、これもまた政治的論理に基づいたものになってしまいます。


ということは、この時<①歴史と政治の区別>を主張する方法しか残されていませんでした。

日本による植民地統治を政治的現実として認めると→韓国という国の実体はなくなってしまう一方で、韓国民族という実体を残すことはできます。
そこで、国家と民族は別個のものとして、民族史としての「韓国史」の生き残りを図ったのです。





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3・1運動直後の歴史教育論⑵



論文*
権五鉉, 「『韓国人本位教育運動』に現れた歴史教育論」, 『社会科研究』(46), 全国社会科教育学会, 1997.






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