日韓の未来

5.18光州事件を、光州で生活するアンナが解く。1#271

여러분 안녕하세요. みなさんこんにちは。
アンナです。
今日も訪問ありがとうございます!


今日やっと、あらゆることが落ち着きました。

先週末に中国語の試験を受けてから、
平日は語学堂の試験と、金曜には一日、現地の高校に訪問して日本紹介の授業、
昨日はちょっとした韓国社会に関する試験、
今日は韓国語能力試験、と予定が立て続けに入っていて

もはや体力も怪しかったのですが、なんとか全て、それなりには準備をして(語学堂の試験については平常時の頑張りで受けた感じになってしまったが)、駆け抜けた一週間でありました。

そして昨日は5月18日、5.18光州事件の39周年、それまでに色々見るためにあちこち巡ることを自分で計画していたので、予定が詰まりまくっていたんです。

今回は、日本人でもなかなか知らない光州事件について、私が学んだことを共有していこうと思います。人や組織によって認識が異なる事件なので、私の書いている内容が正しいとは認識しないようにお願いします…!

高校訪問については、また近いうちに記事にしようと思います!




今回の光州事件を理解するために、韓国の初代大統領・李承晩の時代まで遡ります。

李承晩は、1948年に韓国政府が樹立してから、12年間大統領を続けます。朝鮮戦争などの厳しい時代も韓国政府を引っ張ってきましたが、1960年の選挙で不正が行われたことが明らかになります。

大学生はもちろん、中学・高校生までもが参加した、この不正選挙に対するデモが全国的に拡大し、李承晩は大統領を辞めることになります。これが1960年の4.19革命と呼ばれるものです。

それ以降、民主化に対する多様な主張であふれていましたが、1961年に朴正煕(朴槿恵元大統領の父)は武力で政権を掌握し、大統領となります。それが、5.16軍事クーデターです。

朴正煕は経済開発と安保を最優先として、1972年に憲法改正を通じて大統領の権限を強化します(10月維新)。しかし、民主主義の後退を懸念した市民たちの抵抗は大きくなってきて、釜山と馬山で、市民たちが政府と衝突しました。このような混乱のなかで1979年、朴正煕は暗殺されることになります(デモを抑えられなかった部下を責めたために、その部下から殺されたと言われる)。これが10.26事件と言われるものですね。

このように混乱している中、全斗煥や盧泰愚などの軍民たちは兵力を動員して政権を掌握したのが12.12事件(1979年)です。

これに光州の市民たちは民主主義の実現を要求します。全斗煥など軍部勢力は、このデモが全国に拡大することを憂慮して、軍隊を投入します。これによって多くの市民たちが犠牲となるのです。

これが、1980年、5.18光州民主化運動です。この事件のあと、全斗煥は大統領に選出されます。

(ここの記述については、韓国政府・法務部(省庁の一つ)の授業で使用する教科書を引用しています。この授業などについては改めて別の記事にまとめますね!)




光州事件は18日から27日までの10日間だと言われていますが、私が金曜朝に高校へ向かうためタクシーに乗ったところ、運転手のおじさんは「18日からじゃない。17日の深夜にはじまったんだから、本当は17日からなんだ!」とものすごい熱量で話していました。

17日に戒厳令が発されて、学生たちのデモの出発点となった全南国立大学の正門です。私がいま通っている語学堂も、この大学です。

夜に撮影したので暗いけど、正門なのはわかるよね

正門の脇には、こんな記念碑も


そして、軍隊と市民が衝突した、錦南路(クンナムロ)。


そして、ここが元・全羅南道庁です。現在は国立アジア文化殿堂という建物(2015年〜)になっており、ACC(Asia Culture Center)という名称で親しまれています。

光州事件を扱った映画として是非オススメしたい「タクシー運転手」のとある場面では、軍部の人がこの建物から錦南路を見ています。

この向かいにあった建物に、被害者の死体が集められていたそうで、

「息子が帰ってこない、もしかして…」と思ったお母さんがそこで一人一人の顔を確認したところ、出かけていった時の服装をした息子さんの死体を見つけたそうです。そういった証言を映像で見ました。




錦南路沿いにある「5.18記録館」は極めて忠実に、「記録をする」ことにこだわっています。そこでは、米軍とのやりとりや、当時の新聞検閲などの関連資料を見ることができます。

ただ、今でもアメリカに真実を明らかにするよう求める風潮がある通り、アメリカも関わっていたとされるこの事件、米軍とのやりとりの資料には黒塗りが多く、いわゆる「のり弁」状態です。

時計台の裏の工事中の建物は全南日報ビルディング。古くなったので改修中。来年の40周年には間に合うように3月には完成するらしい。

この時計台は、光州事件の時にはなかったとかなんとか。

日本のほうから贈られたそうだ、ということを、最近仲良くなった5.18記録館の研究員の方から教えていただきました。

たしかに「府中」って書いてある!!!

そしてこの記事写真にしている鐘は、ここの鐘です。「民主の鐘閣」の字は金大中のものだそう。


こちらは、元・道庁前にあるモニュメント。英語、韓国語、日本語で書いてあります。

ちなみに、朴槿恵政権下ではこの道庁を無くすような話しになっていたそうなのですが、現在は建物を復元させることを求める風潮があるそうで、そのための署名活動も行われています。




この事件のとき、道路も、電話のラインも切られてしまい、外部との連絡を一切取れなくなってしまった光州の人たちは、お互いにおにぎり(주먹밥、チュモクパッ)を分け合うことで乗り切ります。

ゆえに、このモニュメントはおにぎり型、丸いところはわざと米粒っぽくざらざら感を出したそうです。



ちょっと思ったより長くなったので、今回はここまで。

また別の資料館に行った話は、次の記事でシェアしていきます!
ではさらばっ


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